2007年1月8-9日(part II)
イサバル県エル・エストール バリオ・ラ・レボルシオン
1月9日の朝はその前日と同じように始まった - 先住民を先祖代々の土地から立ち退かせようと、警察と軍隊の連合部隊が彼らの住む共同体へと向かった。このような領地は、グアテマラ政府により地元グアテマラニッケル会社(CGN)に貸し付けられており、同社はカナダ資本の鉱山会社スカイ・リソーシーズ社のプロジェクト運営を請け負っている。
立ち退きを受ける共同体のメンバーが武装して対抗するかもしれない。そんな噂が飛び交った。これを耳にした連邦警察(PNC)特別部隊は、予告なしにバリオ・ラ・レボルシオンの東側から共同体に踏み込んだ。しかし奇妙なことにそこには全く人けがなく、不気味な雰囲気が漂っていた。
住民たちはそのとき、バリオ・ラ・レボルシオンの西側にある共同体の小屋に集合していた。
共同体リーダーのアベリノ・イカル氏(写真右端)はコニック(先住民族・農民全国調整委員会)のメンバーであるセサル・ボル氏(写真右から2番目)に伴われ、共同体の住民は自主的かつ平和的に立ち退く旨を当局に申し入れた。
ちょうどそのときである。CGNの従業員が共同体の東側に入り、次から次へと住居を燃やし始めたのだ。住民たちが住居の焼き打ちをやめるよう訴える中、エスコバル検事は、東側では誰からも立ち退き命令への反対を受けておらず、法的権限は既にCGN側に引き渡されている、故にCGN側は望むとおりに行動できるのだと主張した。それでも同氏は、住民に焼き打ちで生じた損失の補償はすると約束はした。
見たところ明らかな脅し戦術で、CGNの従業員は顔に黒いペインティングを施していた。彼らもまたマヤ系先住民であり、近隣のマリスコスという町に住む。
住居が焼き払われる中、年配の男性が咽び泣く。「なんて悲しいことなんだ。私の小さな家がなくなってしまった。」
共同体の東側半分を焼き払った後、数十人の兵士が素早く周辺に陣取った。
ここで注目すべきは、グアテマラの36年に渡る内戦を終結させた1996年の和平合意には、国内問題に軍の要員が関与することを禁止する旨が明言されているということである。しかしこれらの兵士の多くは、フェニックス鉱山の敷地内に永住場所と思われる居住地を手に入れ、一連の立ち退きに参加している。これは明らかに1996年の和平合意に反する行為である。
この写真は2006年12月19日に撮影されたもので、アルフォンソ氏とその妻が彼らの小さな住居の前に誇らしげに立っている(バリオ・ラ・レボルシオンに関する以前の記事をご参照ください)。
そしてかつてのアルフォンソ氏の家は、このような残骸へと姿を変えた。
住居が取り壊されたにも関わらず、アルフォンソ氏は家があった場所へと足を運んだ。トタン屋根や、破壊に耐え残っているかもしれないどんなものでも運び出すためだ。
最後に、住民たちは検事とCGN代表者に対し、食料源だけは残してくれるよう懇願した。これまでの労働の実りである作物を数週間後に収穫できるよう、作物は破壊しないでくれと訴えた。しかし彼らの願いが聞き入れられることはなかった。
住居が取り壊され、食料源もまもなく奪われてしまうことを知ると、住民たちはポツリポツリとと共同体を後にした。
しかし若い住民たちの多くは、この地に戻ることを固く誓った。「私たちの両親はここで生まれ、1960年代に強制的な立ち退きを受けたのだ。この土地は私たちのものなんだ。」年若い共同体リーダーが言う。
かつてバリオ・ラ・レボルシオンと呼ばれた場所を記憶に留めるための写真だ。木に描かれた赤いグラフィティにはこう書かれている。
「コニックはマヤの闘いと共に在り続ける。」
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