2007年6月21日
テーマ 責任逃れ、戦後と歴史の記憶
本文: H.I.J.O.S. グアテマラ / 写真・翻訳・注: MiMundo.org

2007年6月 抵抗の新しいグアテマラ
親愛なる盟友のみなさん
悲劇の月、6月がやってきました。正義を求めるため、そして責任の所在を曖昧なうちに放置することに終止符を打つため、私たちは確固たる信念の下、通りに立つのです。
私たちのルーツがどこにあり、偉大なる私たちの祖先は何者であるのか。彼らはなぜ強制失踪という目に遭わなくてはならなかったのか。首謀者は誰で、その背景にあった理由は何だったのか。なぜ彼らは暴力の矛先を子供たち、年長者、男性、女性に向けなくてはならなかったのか。尊厳と正義を求める犠牲者の叫び声を耳にするようになってから、長い時間が経ちました。私たちには、この問いかけに対する答えを知る正当な権利があるのです。
また新たな6月を迎え、私たちは声を大にして、記憶、真実、そして正義を求めます。私たちの闘いを通して、それらが決して失われることがないことを願いながら。これは忘却に対する攻勢なのです。強制失踪の犠牲者のために、私たちと共にみなさんも声をあげてください。
犠牲者たちはどんな人物だったのだろう。彼らがなぜ、強制失踪の犠牲とならなくてはいけなかったのか。彼らの失踪に見出された価値はどれだけのものだったのだろう・・・。 私たちH.I.J.O.S.(強制失踪犠牲者の息子と娘たち)は、来る日も来る日もこのような問いかけを続けています。職場へ行き犠牲となった家族の写真を目にするときも、生き残った父や母を訪れるときも。そして犠牲となった彼らの不在という現実は、今もなお、痛みを伴って私たちと共にあるのです。訪ねる両親すらいない子供たちもいます。彼らにとっては全てが失われたのですから。誰が不在となってしまったのでしょう?シーツを広げ犠牲者の姿を描くとき、行進に参加するとき・・・ ふとした瞬間に、不公平と苦痛が私たちを取り囲んでいることに気付きます。そしてまた自問が始まります。彼らはどこへ行ってしまったのだろう?
親愛なる盟友のみなさん、あなた方も犠牲者に想いを馳せ、忘却に対し『ノー』を突きつけることでしょう。そして、なぜ、という問いかけもまた、私たちと同じなのでしょう。
共有の歴史を再発見し、共通の問いかけに対する答えを見つけ、愛する人々の名前を叫び、彼らの不在を思い起こし、希望に表情を与える。その時が来たのです。
グアテマラのH.I.J.O.S.
私たちは忘れない。
赦さない。
そして現状に甘んじない。
(hijosguatemala@gmail.com)
「グアテマラ政府は、国家安全保障ドクトリン(DSN)の適用を通して、労働組合を反政府活動を行う団体の一部と見なしている。」(1)
「1980年6月21日そして8月24日、警察と軍部に属するグアテマラ連邦当局職員がサン・カルロス大学労働組合のリーダー43名を拘束し、強制連行した。これは市民の自由を保障する権利の侵害であり、究極的には、生存権の侵害でもある。」(2)
「1980年6月21日を境に暴力行為はエスカレートした。グアテマラ社会は恐怖の下に置かれ、労働者は自由に集まることを恐れるようになった。」(3) ナショナル・ワーカーズ・セントラル(CNT)の代表27名が連邦捜査員によって強制連行されたのは、まさにこの日、6月21日であった。CNTは『組合活動の核心的組織であり、1970年代に活発に活動を行っていたメンバーのほとんどが属す組織である』とみなされていたためであった。(4)
グアテマラ社会の方向性を不可逆的に、そして決定的に変えてしまった悲劇が起こった6月21日、それから27年を経て、「強制失踪反対デー」が記念される。
内戦下、グアテマラ政府軍による不当な拘束、強制失踪の犠牲となった人々は約45,000人に上ると推定される。
不当な拘束・強制失踪の犠牲者の家族によるいくつかの社会組織によって、首都グアテマラ・シティの中央公園において、犠牲となった人々の写真や愛する者へのお供え物が並べられた。国家宮殿がその後ろに見える。
その夜、H.I.J.O.S. (『忘却と沈黙に反対し、身元確認と正義を求める息子と娘たちの会』の頭文字)は公開フォーラムを開催し、広く知られているボデヒタ=デル=セントロの強制失踪にその焦点を当てた。ゲストスピーカーと参加者が共に、勇気を持って個人的な体験を共有した。彼らを今日まで結びつけている体験だ。強烈な痛み、悲しみがフォーラム会場を包んだ。しかし、強さ、そして互いを鼓舞する気持ちが彼らの中に生まれたのだった。
歴史の生き証人である伝説の人物、アルフォンソ=バウエル=パイスが当時を振り返る。フアン=ホセ=アレバロ政権で経済大臣を、ハコボ=アルベンス政権では国営農業銀行の理事を務めたパイスは、1970年の2度にわたる暗殺未遂を奇跡的に生き延びた人物だ。「彼らは私の死を望んでいたのだよ。なぜなら、(イサバル県エル・エストールにおいて、カナダ資本の)エクスミバル社に認められた有害で不気味なニッケル鉱業権を公然と非難したのは他ならぬ私だからね。それによって、仲間の弁護士フリオ=カメイ=エレーラとアドルフォ=ミハンドロスの命が奪われたよ。」それからほぼ40年、今日まで続く鉱山プロジェクトは、グアテマラにおいて深刻な社会対立を煽り続けている。同プロジェクトの詳細はこちらをご参照いただきたい。
H.I.J.O.S.の創設者ウェンディ=メンデス(写真左)が、自身の恐ろしい体験を参加者に向けて話す。彼女が9歳の時、連邦捜査員が彼女の母親を拷問する場面を強制的に目撃させられた。その後、母親は強制連行され、行方がわからなくなっている。「私にとって一番辛いことは、母への花を手向ける場所がないことなのです。母が最終的にどこへ連れて行かれたのか、今になってもわかりません。終わりのない物語のような、結末のない低級映画のような感じがしています。結末があって、残された者がその結末を好まなったというのとはわけが違うのです。結末自体が存在しないのです。強制失踪の犠牲者を見つけるまで、犠牲者は皆、拷問者の手中に残されたままなのです。そして罪は終わることがない。私の母は今なお強制連行されたままなのです。私が覚えている母の最後の姿は、彼女の身柄が拘束されたときのものです。なぜなら、その瞬間から今まで、母には正義がもたらされていないからなのです。強制失踪の実行者たちは依然逮捕されず、自由を謳歌し、幸せに家族や孫たちとの時間を過ごしているのです。私が決して経験することがない幸せをね。」
「犠牲者を記憶に留め、追悼するための一番の方法は、私たちの闘いを諦めず続けることです。犠牲者たちが始めた闘いは、正しく、そして尊厳に満ちたものであり、現在に生きる私たちへとつながっているのです。私たちの家族である犠牲者が経験した恐怖や虐殺を無駄にしないよう、この闘いを続けることが残された私たちが負う義務なのです。」 ウェンディは最後をこう結んだ。
旗にはこう書かれている。「忘却を禁ず」
「・・・私たちは都会風のチラシを手に、愛する人々の名前を叫ぶのです。虐殺を行い、人民を裏切った軍部の行為が忘れ去られることが決してないように。忘れないことによって私たちは存在するのです。そして体制に挑んだ人々、詩の創作で体制への非難を続けた人々、芸術を武器に闘いを挑んだ人々、そして政治的転換を形作った人々・・・そういった人々の子孫であることを誇りに思うのです。私たちはこの忌々しい制度に忍ぶ子供たちです。強制失踪の犠牲者たちの息子、娘たちなのです。」(5) (首都ゾーン1にある10番街と10番通りの交差点での写真。2004年10月撮影)
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Versión en Español aquí
1. 歴史究明委員会(CEH)報告書 付属文書「具体例第1巻―具体例第51番 『グアテマラ・シティ及びエマウス・メディオ・モンテ農場におけるCNTメンバーの強制失踪』 184ページより
2. 同上 189ページ
3. 同上
4. 同上 186ページ 歴史究明委員会は正確な犠牲者数に疑問を呈しているが、委員会が確認した犠牲者数としては27人となっている。5.H.I.J.O.S.が発行したのフォーラム用プログラム表紙より。フォーラムのタイトルは、『強制失踪者はどこへ?忘却への攻勢』