2007年8月3日金曜日

エル・エストール―強制排除から6ヶ月を経て

グアテマラ イサバル県 エル・エストール市 バリオ・ラ・レボルシオン
2007年7月24日(パートⅠ)

テーマ 土地問題、先住民の権利、鉱山開発


グアテマラの雑誌Este Paísを手にとり、誇らしげに周囲の人々に見せるフランシスコ=ティウル=トゥト。彼が住む共同体に対して行われた住民強制排除が同誌2007年2月号で取り上げられ、その表紙を飾ったのがトゥトの写真であった。 住民強制排除を行ったのはカナダ資本の鉱山会社スカイ・リソーシーズ社の現地法人、グアテマラ・ニッケル社(以下CGN)だ。同社は、イサバル県エル・エストール市及びアルタ・べラパス県パンソスにおいて、マヤ系先住民族ケクチの人々が住む5つの共同体に対する強制排除を行い、 先祖代々の土地から彼ら住民の立ち退きを余儀なくしたのであった。

現在、バリオ・ラ・レボルシオンとして知られるこの場所は、かつてはチチパテと呼ばれていた共同体であり、ティウル=トゥトはまだこの土地がチチパテという名前であった時代にここで生まれたのだった。「私が涙を流している姿を見て、 笑った人もいるだろう。だが私はこのとき本当にうろたえていたんだ。鉱山会社によって私の住居が焼き払われたのだからね。 」彼は言う。彼の取り乱した姿を写した写真は広く出回り、ケネス=クック駐グアテマラ・カナダ大使による攻撃の対象とさえなったのだった。クック大使は人権保護よりも鉱山活動の推進を優先させる立場を公にしており、 当ブログ管理者MiMundo.org が撮影した写真の信憑性を否定しようとしたのだった (大使の言動に関する詳細はこちらをどうぞ)。

今年7月24日、NGOライツ・アクションによって結成された使節団が、6ヶ月前の暴力的な住民強制排除の対象となった多くの共同体を訪問した。 その目的は、強制排除後の経過を知り、意見を交わすことであった。


カナダ資本の鉱山会社が引き起こしている土地問題や住民強制排除については、2006年12月から2007年1月に MiMundo.org が記録した以下のフォト・エッセーをご参照いただきたい。

The Eternal Struggle for Land
Eviction Day
Canadian Mining Company Orders Eviction of Indigenous Communities
Barrio La Revolución Burns
Eviction Despite Dubious Legal Status


バリオ・ラ・レボルシオンの共同体メンバーらは使節団の訪問への喜びと感謝の意を表明し、 ある住民は出版物に関しこのように述べた。 「このような形での情報発信は、私たちに対する好意と連帯の表れだ。 多くの人々が我々の共同体を訪れ、手を差し伸べると約束してくれる。だがそれが本当に実行されているのかどうか、私たちは知る由もないのだ。 こういった雑誌や新聞に掲載される情報によって、私たちを苦しめている不当な行為が、本当に広く知られることとなる。 グアテマラの国内のみならず、国際レベルにおいてもね 。」(1)


カナダの雑誌This Magazineのページをめくる女性と子供たち。「鉱山の悲劇」というタイトルの記事が、同誌2007年3-4月号に掲載されている。


ドン・アルフォンソ氏と彼の妻が、自分たちの姿を写した写真を見て笑う。 この写真は、共同体の歴史、住民の闘い、そして2007年1月8-9日の強制排除を記録するために MiMundo.orgが作成した写真集の見本版に掲載されている。 同写真集は、インターネットの自費出版サービス(ここをクリック)から注文が可能だ(英語) 。

MiMundo.org は、こういった記事の公表を助成することに関心のあるNGOや出版社によるアイディアや提案を求めている。 記事が対象として取り上げる人々に利するよう、よりよい費用効率で作品を出版する方法を模索している。出版に関するアイディアや提案があれば是非 james@mimundo.org 宛にお送りいただきたい(英語/スペイン語)。

2007年2-3月出版のニューヨークの雑誌Indypendence99号に掲載された見事な1面カラー記事に見入る共同体の住民。

共同体の土地問題に関して、ドン=トーマスは言う。「昨日から再びこの土地に住み始めた。(CGNと共同体の間で過去6ヶ月にわたり)多くの話し合いが行われたが、結局何の結論も出ていない。だからもう一度、私たちの土地を取り戻すためにトライしてみたいんだ。 この土地を耕し、子供たちに残していきたい。そのためにはそれを可能にする努力が必要なんだ。 土地を取り戻そうという私たちの決意は、CONICを通して既に政府に申し入れがなされているのだ。」


1月9日の強制排除以降、共同体の住民のほとんどは近隣のチチパテ村に住んでいる。しかし、懸案の土地が外国から参入した鉱山会社ではなく、 自分たちに属しているのだという確信を持って生活をしている。軍部独裁だった1960年代、地元住民の共同墓地を含むチチパテ村の大部分がインコ社(スカイ・リソーシーズ社の前身であるカナダ系鉱山会社)に与えられたのだった。 その際に奪われた土地が、チチパテの住民が現在バリオ・ラ・レボルシオンを呼び、 自分たちの土地であると主張している場所なのだ 。


「神が私たちに残してくれた土地は、皆に利するよう使われなくてはならない。 私たちの後を受け継ぐ子供たち、家族のためにね」(2)


「我々がこの土地を去る日など決してやって来ないさ。 この闘いを受ける覚悟ができているのだからね。 あなた方の訪問に、 ここで行われた暴力行為を忘れずにいれくれることに、そしてこれがこれからも続くだろうことを記憶に留めてくれていることに感謝しています。 我々の共同体に起こっていること、我々の権利が侵されていることを世界に暴くことによって、 これからも我々を支援してくれることを願っています。そしてまたここに来てください。 私たちの力となってください。 私たちが、これまでも、そしてこれからも、 私たちの土地であるこの場所を再び手にすることができるように。」(3)


バリオ・ラ・レボルシオンの入り口に掲げられたサイン。
「CONICここにあり。闘いはこれからも続く。」



注) このフォト・エッセーで言及された記事には 、トップページ右側の「出版された写真・記事」からジャンプできます(英語/スペイン語/イタリア語)。



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1. 共同体メンバーへのインタビューは2007年6月24日に行われた。注釈がついたコメントのケクチ語/スペイン語の通訳は、ディフェンソリア・ケクチ(AEPDI)のファシリテーター、アデルソ=ロメル=レイェスによる。
2. 同上

3. 同上