2007年4月28日土曜日

ブッシュ、殺人者、出て行け

グアテマラ グアテマラ・シティ
2007年3月10日
テーマ: 社会


2007年3月11日、12日の両日、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュがグアテマラの地を訪問した。彼の到着は多くの論争を引き起こし、 ブッシュ排斥の声を上げる社会セクターも現れた。

歴史的に、アメリカ合衆国は抑圧的政策でこの地域に介入してきた。グアテマラにおいては、中央情報局(CIA)が1954年のクーデターを画策し、民主的に選出された大統領ハコボ・アルベンス政権を転覆させた。グアテマラの大方は、 このような事件が破壊的な内戦に至る一連の出来事の口火を切ったと捉えている。36年に渡り続いたグアテマラの内戦は、最終的に20万人以上の犠牲者を出した。

2007年3月10日(土)、北アメリカの国家元首の到着を抗議の行進で迎えようと、多くの非政府組織が集まった。 スローガンは、「ブッシュ、殺人者、出て行け」。

「公共事業と天然資源を守る闘争戦線」(FNL)によると、グアテマラ市民社会はブッシュの到着を完全に拒絶している。 「ブッシュを招いた者も彼をこの国に歓迎する者も、 そして彼の到着を喜ぶ者も誰一人いないことを、 火を見るよりも明らかにしよう。歓迎されるどころか、 彼の訪問は甚だしい侮辱行為だ。これまで彼は、 ここグアテマラでもアメリカ合衆国においても、 休むことなく我々グアテマラの人々を痛めつけてきたのだ。 ここグアテマラでは政策を押し付けることによって、 そしてアメリカでは何千というグアテマラ人労働者を法律侵犯者として扱い、強制送還するという迫害を通して。」(1)

FNLの公式声明にあるように、ブッシュのグアテマラ到着は、二国間で移民問題が大議論を呼び、 緊張が高まる中の訪問となった。グアテマラの日刊紙プレンサリブレによると、「2006年の1年で1万8千人以上のグアテマラ人が強制送還された。彼らの多くは、仕事に向かう途中で拘留されたのだった。」(2)

とりわけ、テキサスにあるスウィフト社の食肉包装工場で2006年12月に行われた不法労働者に対する強制捜査は、グアテマラ国内で根強い批判を受けている。ホリデーシーズン開始まであと数日という12月のある日、不法労働者と推定される1,282人が前述の食肉包装工場内で拘留され、そのうち536人がグアテマラ国籍と確認された。 拘留された人々の多くは、 それぞれの家庭事情に対処する機会すら与えられず拘留後まもなく強制送還され、その結果100人以上の子供たちが保護者不在の状態で置き去りにされたのだった。(3) このニュースによって、アメリカの移民労働者を対象に行われている非人道的扱いに対し、 グアテマラ国内で激しい抗議の声が上がった。


グアテマラ造形芸術労働組合(STAP)が、北アメリカ政府によってこの地域に強いられた新自由主義政策への拒絶を表す、目を見張る布製の壁画を披露した。 両国間で締結された自由貿易協定(米国と中米5ヵ国・ドミニカ共和国との自由貿易協定:DR-CAFTAの一部)の2周年が近づくにつれて、グアテマラはこのような協定を形作る構造骨子であるプエブラ=パナマ計画(PPP)がもたらす弊害に苦しむようになってきた。例えば共同体の暴力的な強制住民排除は、PPPに関連したメガ・プロジェクト建設に付随して行われており、内戦後の脆弱な社会において対立を引き起こす社会的問題となっている。


デモ行進はほぼ4時間に渡り首都グアテマラ・シティのいくつかの行政区を進み、参加者は約2,000人に及んだ。

参加者の中には、これを機会に不服従を宣言しようという人々がいた。 ラテン・アメリカにおいて歴史的に広く用いられてきた方法で表現するのだ。 破壊行為がその方法だと捉える人もいれば、公衆芸術がそれだと言う人々もいる。 彼らはその後者だ。


1900年以来、アメリカ合衆国は地球上の至るところで100以上の軍事介入を行ってきた。(4) グアテマラは、 軍事介入の対象となった国々の一見もれのないように見えるリストにその名を連ねており、 イラクやアフガニスタンにおけるブッシュ政権の侵略的政策が 中央アメリカのこの国で支持されていないことは何ら驚くにあたらない。首都のゾーン9にあるマクドナルドに掲げられたビラにはこう書かれている。「富む者が戦争を起こすとき、 死ぬのは貧しき者だ。-J・サルトル」

商業・金融地区として知られるこのような行政区は、抗議する人々の激しい怒りの多くを引き受けてきた。ここ数ヶ月の間に主要銀行2行が突然閉鎖し、現在グアテマラの銀行システムは重大な危機に瀕している。 内部汚職や、姿を消した重役と消失した多額の金により、 国の経済に対する不信感が広まっている。

2007年の大統領選挙戦が激化する中、多くのデモ参加者が大統領候補に関する意見を述べた。 愛国党から出馬のオットー・ペレス・モリナ将軍は、 極右強硬派を束ねており、 スローガンは「必要なのは厳しい手!」である。ペレス・モリナ氏は選ばれた軍将校の1人として、軍部とゲリラ・グループの間で結ばれた1996年の和平合意に署名した人物だ。

1960年代初頭、「ジョン・F・ケネディ大統領は最も反抗の強かったサカパとイサバル両地域を対象とした和平プログラムを承認し、 井戸掘りや診療所の建設といった”市民活動”プロジェクトと、 軍事援助の急増の両方を含んだプログラムを推し進めた。」(5)

ブッシュ到着の2週間前、1,000人近いアメリカ海軍がグアテマラに上陸し、サン・マルコス県に腰を据えた。 この上陸は、 ケネディが進めたプロジェクトと同様の目的の下に行われたようだった。激しい対立を生み出している、 アメリカ、カナダ合同によるマーリン金鉱山プロジェクトが位置するのが、正にサン・マルコス県なのである。 つまり、同県は、今回のブッシュ大統領訪問時に間違いなく「反抗の強い地域」の定義に入る地域となる。 「ニューホライズン計画」と呼ばれ、外国軍の駐留を正当とするこのプログラムは3ヶ月続く見込みであり、「2つの学校、2つの診療所、3つの井戸」の建設を提案している。これら7つの施設を建設するのにかかる費用は総額で1,400万ドルに上る。(6)

デモ行進はアメリカ大使館へと向かい、大使館前に到着すると、抗議スピーチが読み上げられた。

アメリカ国旗が繰り返し焼かれる中、建物の屋根に配置された大使館警備担当者がデモ隊の様子をビデオ撮影していた。

アメリカ国旗と大使館建物を守ろうと、国家文民警察(PNC)のメンバーがアメリカ大使館前に立つ。緊迫した状態にも関わらず、対立する2つのグループは幸いにも互いの領域を尊重し、暴力は回避された。

歩道に書かれたメッセージ。
「私有地制度にノーを」


このデモの間、全く理解が不可能な出来事が起こった。 アメリカの戦闘機がデモ参加者に対する威圧目的で、 かなりの低空飛行で接近通過したのだった。 グアテマラのベルシェ大統領がアメリカの大統領を訪問する際、 グアテマラ戦闘機はワシントン上空を飛行することが許されるだろうか?

グローバリゼーション、それとも帝国主義か?


「アメリカ、テロリズムで世界ナンバーワン」


21世紀の抵抗の武器


「アメリカの植民地になどなりたくないし、植民地であるという意識もないさ」
(行進で繰り返されたスローガンより)

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【出典】
1. FNL広報 2007年2月21日号
2. プレンサリブレ1月3日:
http://www.prensalibre.com/pl/2007/enero/03/159869.html
3. プレンサリブレ12月14日:
http://www.prensalibre.com/pl/2006/diciembre/14/158596.html
4. グローバル・ポリシー・フォーラム:
http://www.globalpolicy.org/empire/history/interventions.htm
5. Bitter Fruit, the C.I.A. in Guatemala 214ページ (Harvard University Press, 1999)
引用を探してくれたドーン・ペイリーに感謝します。
6. プレンサリブレ2月13日:

2007年4月18日水曜日

駐グアテマラカナダ大使、虚偽を広める

グアテマラ / カナダ
2007年2月28日
テーマ:【特別投稿】 当ブログ著者の信用を失墜させようとする企てに関して


ケネス=クック駐グアテマラカナダ大使は、この写真が2007年1月に行われたグアテマラ・イサバル県およびアルタ・ベラパス県における5つの先住民共同体に対する住民強制排除の際に撮影されたものではないと主張している。しかし当ブログ著者撮影のこの写真左上に注目してほしい(この写真は横幅が広いバージョンである)。写真が撮影された当日、強制排除を実行したラファエル=アンドラデ=エスコバル検事の姿がはっきりと確認できる。カナダ政府高官による重大な告発の詳細に関しては、以下の公開質問状をご参照いただきたい。

以下に宛てた公開質問状
カナダ外務省 ピーター=マッケイ外相
MacKay.P@parl.gc.ca
カナダ外務国際貿易省中米カリブ海諸国担当 ジェームズ=ランバート長官
james.lambert@international.gc.ca
駐グアテマラカナダ大使館 ケネス=クック大使
kenneth.cook@international.gc.ca

ニッケル鉱山会社スカイ・リソーシーズ社に利する強制立ち退きを受けたマヤ系ケクチ民族の共同体を記録した映像に関して、駐グアテマラカナダ大使が虚報を広めていることに関して

関係各位
私たち下記署名者は、ケネス=クック駐グアテマラカナダ大使の最近の行為に対し、深い懸念を持ってこの質問状を送付いたします。クック大使は、カナダ国籍・博士課程在籍の学生スティーブン=シュヌアが発表した映像作品に関し、虚報を伝えています。同学生は、これまで数ヶ月に渡りカナダ国際開発局が助成する研究を中央アメリカにおいて行ってきました。これはライツ・アクション及び様々なグアテマラの組織、共同体の協力の下行われている研究です。大使の主張は誤った情報であるだけでなく、マヤ系先住民ケクチの人々の領土権の主張に対する、一般の人々の認識にも偏見を与えるものです。先住民ケクチの共同体は、カナダ資本の鉱山会社スカイ・リソーシーズ社が運営するプロジェクトの直接的影響を受けてきました。グアテマラの教会指導者を含む多くの情報源が、シュヌアが自らの作品を通して浮き彫りにした問題の信憑性を損なわせる目的のキャンペーンを、虚報を用いてクック大使が積極的に展開していると証言しています。シュヌアの作品は、中央アメリカで操業するカナダ系鉱山会社の運営を考察する内容であり、そのような企業による人権侵害の謀議を探るものであります。

今年1月8日、9日の両日、シュヌア及びカナダ人ジャーナリスト・ドーン=ペイリー、写真家ジェームズ=ロドリゲスの3名は、マヤ系先住民ケクチの共同体が強制住民排除を受ける間、グアテマラ東部の町エル・エストール近郊に居合わせました。強制排除の対象となったこれらの共同体は、カナダ資本スカイ・リソーシーズ社の現地法人グアテマラ・ニッケル・カンパニーが所有権を主張する土地に居住していました。住民の強制排除は違法であり、破壊的かつ暴力的な方法で実行されました。その多くが重装備に身を包んだ700人近い警察隊及び軍隊の合同部隊が共同体を取り囲み、鉱山会社の従業員が住民の住居を取り壊しました。軍隊が警察活動に介入することは、1996年に締結されたグアテマラ和平協定に違反する行為です。スカイ・リソーシーズ社は、これらの強制排除は平和的に行われ、実行部隊は非武装であったと主張しています。

シュヌアはこの強制排除をビデオに記録し、スカイ・リソーシーズ社による前述の主張が虚偽であることを証明する9分間のドキュメンタリー映像を製作しました。現在インターネット上で広く閲覧されているこの映像には、共同体住民の目の前で家々が焼き払われる中、重装備の兵士が森の中を駆け回る様子を撮影したロドリゲスの写真が何枚か使用されています。同映像には、スカイ・リソーシーズ社の従業員による住居取り壊しを目にし、マヤ系ケクチの女性がこの状況の不公平さに対し怒りを露に抗議する様子が記録されており、また、この場面でも周囲が何百もの警察隊に囲まれていたことが明らかにされています。この映像作品は以下のリンクで閲覧可能です。
http://www.rightsaction.org/video/elestor

強制排除に関するペイリーの記事「これが開発の姿」、およびロドリゲスの写真を閲覧するには以下のリンクをご利用ください。
http://www.dominionpaper.ca/articles/899
http://mimundo.org.

マヤ系ケクチの人々は、長年に渡り土地の所有権に関する申し立てを行い、自分たちが持つ開発や人権に関するニーズを訴えてきました。しかし、明らかにスカイ社の立場を擁護し、ケクチの人々の申し立てに対する信用を失わせようとする動きの中、クック大使はシュヌア製作の映像に関し、再三にわたり虚偽を広めています。多くの情報源からの証言によると、クック大使は以下を理由に映像が信頼性を欠く旨を主張しています。
1. 映像に使われている写真は強制排除の際に撮影されたものではなく、グアテマラ内戦時代にまでさかのぼる古い写真である。これまで何度も、そして様々な場所でこの写真は使用されてきた。
2. 怒りを露に強制排除の不当さに抗議する貧窮したマヤ系ケクチの女性は、実際はエル・エストール出身の女優であり、シュヌアがこういった「演技」をするよう賃金を支払った人物だ。

これら主張は非常に深刻であり、かつ完全に、明白に虚偽の申し立てです。ビデオに記録されたマヤ系先住民の真実の声を否定し、シュヌアを巧みに情報操作を行う主唱者として描くものであります。現実を否定し、さらに先住民の抵抗の声および違法行為である強制排除など実際にはありえないものだと暗に伝えようとしています。

2月21日(火)、シュヌアはクック大使宛てにEメールを送付し、大使の申し立ては虚偽であることを主張した上で、カナダ政府高官である大使がなぜそのような言語道断な発言をしたのか、その理由を説明するよう求めました。さらにシュヌアは、クック大使が彼の作品を中傷すること、憲法によって保証される表現の自由を侵す虚偽の陳述をすることをやめるよう丁重に求めました。

下記の事実をここで明確にしておきたいと思います。

シュヌアのビデオに使用された写真は全て、2007年1月8日、9日両日にエル・エストール近郊の強制排除の対象となった場所において写真家ジェームズ=ロドリゲスが撮影したものです。クック大使が以前から何度も目にしたと主張する特定の写真(先住民男性が絶望を表す身振りで頭部を手で覆った場面を撮影した写真)は現在、グアテマラの雑誌Este Pais誌(2007年2月発行 Vol. 2, No. 8)の表紙に使用されており、最近の強制排除に関する特集記事が組まれています。ロドリゲス撮影のその他何枚かの写真も同誌に掲載されています。強制排除が行われた場所に居合わせ、写真撮影も行っていたカナダ人ジャーナリスト・ドーン=ペイリーもまた、同じ男性の写真を撮影しました。この3名は、クック大使の申し立てが完全な虚偽であること及びビデオに使われた全ての写真が強制排除の場所で撮影されたことを証言し、必要な証拠を提出する意思があります。

ビデオに登場するマヤ系ケクチの女性が実際は雇われた女優であるとの申し立ては、あまりに馬鹿げた内容であり、そのような主張が問題の女性への侮辱であることはもちろん、シュヌアの名誉を傷つけうることを除いては、真摯な回答をするまでもないように思われます。ここに私たちはカナダ政府に対し説明、謝罪そしてこの問題に関する調査を求めます。私たちは、このような行為が地元コミュニティの権利と福祉をないがしろにし、外国で操業するカナダ資本の採取産業に特別な待遇を与える政治的立場を表していることを大変懸念しております。

グアテマラの歴史に詳しい人であれば、グアテマラという国が抑圧、政治的腐敗、紛れもない人権侵害で悪評を受けている国であることを知っているはずです。10年前に正式に終結した36年にわたる武力紛争により、推定で25万人を超える人々が殺されたり行方がわからなくなりました。そしてこれら犠牲者の80%が先住民の人々だったのです。

カナダ企業による鉱山への資本投下は、この血まみれの歴史と切り離すことができません。最近の住民強制排除が行われた場所の地下権利は、1965年グアテマラ軍事政権によってインコ社に与えられました。地元先住民を抑圧・虐殺した残虐かつ圧制的軍事独裁政権は、インコ社の操業を後押ししました。「国連歴史究委員会(CEH)」および「グアテマラ司教会議人権事務所」による報告書『グアテマラ、2度と再び』によると、(80%の株式をインコ社が所有する、グアテマラの鉱山会社エクスミバル社を通して)インコ社は、鉱山プロジェクトに反対する人々に対し、脅迫行為、暗殺を含む深刻な人権侵害に加担していました。

スカイ・リソーシーズ社がフェニックス・プロジェクトと呼ばれるニッケル採掘計画をこの地域において進める背景には、こういった歴史的文脈や最近の違法な住民強制排除があるのです。同社は地元先住民との間に事前の協議を持つことなく、このプロジェクトを進めています。事前の協議や了承を得ることは、独立国家における先住民・種族民に関する国際労働機関(ILO)169号条約によって定められており、1996年に同条約を批准したグアテマラにはこれを遵守する義務があります。

さらにスカイ社は、同社が所有を主張する多くの土地の不動産名義を提出していません。これは、最近の住民強制排除の法的正当性に疑問を投げかけるものです。

エル・エストール近郊のニッケル鉱山プロジェクトにより何十年にわたり引き起こされている深刻な人権侵害および開発の弊害は、グアテマラからガーナ、コロンビアからコンゴに及ぶカナダの鉱山会社、カナダ政府、ひいてはカナダ国民連座による政治的・社会経済的・文化的権利侵害の氷山の一角に過ぎません。カナダ政府は、カナダ外務国際貿易省、カナダ国際開発庁、カナダ輸出金融公社、カナダ年金基金を通して、長年にわたり有害な鉱業を推進し、資金援助を行ってきたのです。

政府が支援する採掘活動の多くは、地元コミュニティや先住民族が思い描く地元主導の総合開発と完全に対立するものとなっています。

大使が前述の発言をした理由の説明および公にその発言を撤回することをクック大使に求めます。カナダ政府に対しては、この件の調査、そして大使の行動―地元コミュニティの権利と福祉をないがしろにし、外国で操業するカナダ資本の採取産業に特別な待遇を与える政治的立場を表す行為―が与えうるより広い意味での影響について、調査するよう求めます。クック大使の前任者ジェームズ=ランバート氏もまた、カナダの鉱山投資を援護し、それに伴う人権問題をはねつける発言を公にしています。

ご返答をお待ちしております。私たちに対するどのようなご質問にも答え、更なる情報を提供するつもりでおります。公聴会を開催されるのであれば、それにも参加する意思を持っています。

敬具
差出人:
■ スティーブン=シュノア:フリーランス映画制作者、ヨーク大学・ライアソン大学にて博士号取得見込み
steven_s@yorku.ca
■ ドーン=ペイリー:フリージャーナリスト
dawnpaley@gmail.com (604)-715-4180
■ グラハム=ラッセル:ライツ・アクション共同ディレクター
info@rightsaction.org (860) 352-2152
■ サンドラ=カフ:ライツ・アクション
caminando27@yahoo.es
■ ジェームズ=ロドリゲス:フリーフォトジャーナリスト
james@mimundo.org

宛て先:
カナダ外務省
ピーター=マッケイ外相閣下
125 Sussex DriveOttawa, Ontario K1A 0G2 Canada電話: (613) 992-6022 fax: (613) 992-2337Eメール:
MacKay.P@parl.gc.ca

駐グアテマラカナダ大使館
ケネス=M=クック大使
P.O. Box 400, Ciudad de Guatemala, 01001, Guatemala, C.A.電話: (011-502) 2363-4348 fax: (011-502) 2365-1215Eメール: gtmla-gr@dfait-maeci.gc.caEメール:
kenneth.cook@international.gc.ca

カナダ外務国際貿易省
中米カリブ海諸国担当
ジェームズ=ランバート長官
125 Sussex DriveOttawa, Ontario K1A 0G2Canada電話: (613) 995-6433Eメール:
james.lambert@international.gc.ca

CC:
カナダ報道各社、野党指導者、外交問題評論家、市民社会運動団体
カナダ自由党 ステファン=ディオン党首(
Dion.S@parl.gc.ca
ブロック・ケベコワ ギレス=デュセップ党首(
Duceppe.G@parl.gc.ca
カナダ新民主党 ジャック=レイトン党首
(Layton.J@parl.gc.ca

記事内容に関するお問い合わせは:
info@rightsaction.org.
www.rightsaction.org

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2007年4月12日木曜日

レジスタンス・フェア

グアテマラ キチェ県 プリマベラ・デル・イシュカン共同体
2007年1月30日-2月2日
「1980年代最初に政府と軍によって加えられた弾圧を背景に、 1983年、我々”抵抗の共同体 (CPR)” が生まれた。 ”焦土作戦” の名で知られる政策により、何千ものグアテマラの兄弟姉妹が先祖代々暮らしてきた土地を離れ、メキシコに非難することを余儀なくされた。 国内に残った者も行き場を失い、 自分たちの命を守るために国内避難民となった。 しかしイシュカン出身の何百かの家族を含む我々は、 この地域に留まったのだった。」(1)

「自分たちの土地を愛する心、そして自らと家族の命を守るため、我々は(山中に身を潜め)12年に及び抵抗を続けた。仲間の誰一人として飢えることがないよう、なけなしの食糧を皆で分け合った。 連帯、平等、互いを認め尊重しあうこと、母なる自然への愛、 与えられた命への感謝という価値観の種をまき、慈しみ育て、軍隊による残虐行為に立ち向かい抵抗するため勇気で武装したのだった。」(2)

1960年代半ば、森林が密集するイシュカン地域への入植計画が策定された。深いジャングルに覆われたイシュカンは、キチェ県の北側3分の1を占め、メキシコのチアパス州と国境を接している。この計画により1970年代の最初にマヤラン、シャルバル、プエブロ・ヌエボ、クアトロ・プエブロ、そして最後にロス・アンヘレスの5つの共同体が生まれ、これら共同体の協力の下、「各種事業を行うグレート・イシュカン生活協同組合」が形成された。「しかし1975年、次第に軍事化の波がイシュカンにまで及ぶようになった。折りしもその時期、同地域で貧民ゲリラ軍(EGP)が活動を開始したのだった。」 (3) 「軍部が新しい反乱対策を導入したことを背景に、1982年、イシュカン地域の共同体に対する軍隊の弾圧は急激にその規模を拡大した。焦土作戦として知られるこの新しい戦略は、(ゲリラの支援根拠地と考えられていた場所を一掃することにより)ゲリラ打倒を目的に、共同体を完全に根絶・破壊することを命じるものであった。この新しい政策の下、イシュカン地域に最も大きな歴史的影響を与えたクアトロ・プエブロの大虐殺が行われたのだった。」(4)

歴史究明委員会(CEH)の報告書によると、軍隊は1982年3月にクアトロ・プエブロにおいて犠牲者数400人を超える大虐殺を行った。(5) 「時間の経過と共に、クアトロ・プエブロの大虐殺で生き残り山中で抵抗を続けていた人々と、 同じように軍隊に破壊された近隣の共同体の住民が、頭上を屋根のように覆うジャングルの中で1つになった。1983年12月、(内部組織等が正式にできあがり、その結果)“抵抗の共同体(CPR)”が生まれた・・・1983年から1986年の間、軍隊は組織的にCPRを追い詰め、我々の農作物や野営地を破壊した。仲間の多くが病気と飢餓で命を落とした。それから10年が経過した1996年、かつてサン・イシドロ農園があった場所に生活の拠点を恒久的に移すため、グレート・イシュカン協同組合があった土地区画に別れを告げ、新しくプリマベラ・デル・イシュカン共同体を形成した。(6)

プリマベラ・デル・イシュカン共同体は、 山中に潜伏していた期間に生み出された組織構造を今日も維持している。全ての男女が選挙権を持ち、「プリマベラ・デル・イシュカン調整委員会(CCPI)」を組織するリーダーを民主的に選ぶ選挙が毎年1月30日に行われる。CCPIから選ばれる1名が、自治体組織において2年間その長を務める。

毎年1月の最終日は、「ラ・レシステンシア」(「抵抗」の意)と呼ばれる農業協同組合の通常会合を開催する日となっている。 このような組織は共同体の経済を担う部門であり、プリマベラ共同体の主な収入源となっている。

様々な商品を扱う店。 ラ・レシステンシア協同組合によって管理され、共同体に非常に多くの商品を供給している。

2日間に及ぶ会合が閉会に近づき、レジスタンス・フェアも佳境に入る。祭典では数多くのスポーツイベントや文化的・娯楽的催しが行われ、これらは2月3日の朝まで続く。

入植の歴史により、 イシュカン地域はその多様な社会集団の混在に特徴を持つ。プリマベラにおける非典型的な民族の混ざり合いを見てみると、 マム、カンホバル、イシル、キチェ、カキケル、チュフ、アチ民族、さらにラディノ(ヨーロッパ系と先住民の混血)の人々が混在する。 これに対しプリマベラ近隣の村々の住民は、 ほぼ全員がこの地域の先住民であるマヤ系ケクチの人々である。とはいえ、その他近隣の町はさらに異なる国内避難民のグループから成る。 つまり、グアテマラ内戦中メキシコで難民として暮らし、その後グアテマラに戻った人々である。 各居住地内でもまた、民族的構造の違いを見ることができる。レジスタンス・フェアが行われる間、 イシュカン地域の共同体からいくつかのチームが出場し、サッカーの試合が行われた。 地域の近隣の居住地間の結びつきを強める交流の場となっている。この写真は、 プラジャ・グランデにある技術学校の守りの選手が、アリアンサ・プリマベラのストライカーからボールを奪う場面だ。

お祭り騒ぎには伝統的な遊びも見られる。 油を塗った子豚を捕まえるレースは、勝者が子豚を持ち帰ることができるとあり、大いに盛り上がりを見せた。

しかしながらグアテマラの多くの共同体がそうであるように、 プリマベラ共同体もグローバリゼーションの弊害や、 経済的な安定を求めて国の北側に移り住んだ共同体のメンバーがもたらした影響から逃れられないという現実がある。 看板広告にはお祭りの期間仮設映画館で上映される映画が紹介されている。 共同体のリーダーはこの影響に思いを巡らせた。「我々の若者が先住民としてのアイデンティティを失っていくことに対し、私たちは一体何ができるのだろう?」

若者たちが見入っているのは、 共同体にとって歴史上重要な意味を持つ出来事を描いた写真展である。他に興味を惹かれるものがあるにも関わらず、 集団として共通の記憶を保ち続けることは、他のどんなテーマも超え、祭典の中心であり続けている。

共同体のメンバーが身を隠し暮らしていた間に作った詩 「開かれた場所」 の一部だ。 先生たちがスピーカー越しに生演奏する。

“ジャングルに覆われたこの場所にいる私。
いつか何も邪魔になるものがない、 開かれた場所に出て行きたい。

光の届かないこの場所を出て、 山の斜面を後にして、
地平線が微笑むのを見に行こう。

原野での生活は厳しい。 人は多くのものを必要とするのだから。
私たちを囲むのは空腹と病いだけではない。 軍隊とその抑圧も私たちを追い詰める。

しかしこの闘いに長い時間を要しても、 この犠牲は払わなくてはならない。
なぜなら、こんな悲しみや苦しみの後には、 新しい世界に出会えるから。

そう考えることが私の救いだ。 私の心を喜びで満たしてくれる。
抑圧のないグアテマラで、 子どもたちを幸せを与えたい。

農作物はみんなのためにあり、 この国はもう空腹に苦しむことはない。
誰も苦しまなくていい。 こんな経験など、誰もしなくてよいのだ。

それが私の望む開かれた場所。
それが私が命を預けたい場所。

子どもたちが、孫たちが、自由を謳歌できるとき・・・“


共同体の新しいカトリック教会の発足と重なったことから、 レジスタンス・フェアにはキチェ県の司祭であるマリオ・アルベルト・モリナ神父も出席した。

2月2日午前、新しい教会の発足のためにプリマベラのカトリック教徒が列を成して歩き、数十人の敬虔な信者の堅信礼と2つの結婚式で行進はクライマックスを迎えた。

イシュカン地域の歴史の至るところで、カトリック教会は主たる役割を果たしている。1960年代、教会組織により同地域への入植プログラムが作成され、 さらに、キチェ県の前司教フリオ・カブレラ神父の尽力により、カリタス(カトリック司教協議会の1つ。社会福祉の推進と募金・援助活動を行うNGO。バチカンに本部)から貸付金を受けることが可能となり、1996年のサン・イシドロ農園の買い取りが実現した。それが現在のプリマベラ・デル・イシュカン共同体である。

高位の聖職者の出席だけでなく、共同体は国家賠償プログラム(PNR)からロサリナ・トゥユク(写真右)と数人のメンバーを迎えた。 同プログラムは戦時補償金の受取人や受け取りの方法等を決定する機関である。和平協定では、抵抗の共同体(CPR)は土地・住居を失った共同体として明確に規定されており、内戦犠牲者の認定を受けている。(7) よって、共同体のメンバーは「土地の所有権に関する法的安全性(中でもとりわけ土地の使用、所有、 その所有の正当性)」を受ける権利が認められて然るべきである。(8) ところが、共同体がその発足から11周年を迎えたにも関わらず、サン・イシドロ農園買取の際の借入金の一部を、未だCATRISに支払い続けている。「プリマベラへの共同体の恒久的移転に関して、国は一度たりとも手を差し伸べてくれたことはない。 」プリマベラ・デル・イシュカン調整委員会(CCPI)メンバー、フアン・ディエゴ氏は言う。「これまで達成されたことと言えば、抵抗の共同体(CPR)が市民社会の一部として認められたことのみだ。区画の買い取りや移転のこととなると、国の問題ではなく完全に共同体の問題だという扱いなのさ。 」

これまでの長い年月を通して、 共同体は様々な開発プログラムを打ち立てようとしてきた。現在プリマベラは国連開発計画(UNDP)が運営するプロジェクトに参加している。同プロジェクトは4つのプログラム:森林再生、ゴム、家畜、ペヒバイェと呼ばれる食用ヤシの実から成っている。 しかし同プロジェクトは当初の予想通りには進まず、共同体はこのプロジェクトの負債をも抱えている。 そのため、国家賠償プログラム(PNR)への4つの要請の主たるものは、共同体のCARITAS(元々の借入額の大部分を既に帳消ししてくれている)への負債の帳消しや、UNDPプロジェクトを開始するに当たって借り入れた負債帳消しに焦点を当てている。 写真は今のところ町唯一の電源であるソーラーパネルだ。共同体のメイン・オフィスの屋根に設置されている。

国家賠償プログラム(PNR)のロサリナ・トゥユク氏とカタリナ・アルコン氏およびプリマベラ・デル・イシュカン調整委員会(CCPI)のメンバーは、地元教員のエウラリア・フランシスコ氏(写真右)の案内で、地元の学校の嘆かわしい状態を目にする。国家賠償プログラム(PNR)に対する第2の要請は、共同体に適切な教育施設を建設することである。今年小・中学校に通う生徒数はおおよそ700人、そのうち約300人が近隣のマヤ系ケクチ民族の村々に住む子供たちだ。この地域唯一の中学校、インスティトゥト・バシコ・ポル・コオペラティバに通う生徒の3分の1は、プリマベラ以外から通う子供たちである。小学校、中学校ともに国の認可を受けた学校であり、 有資格者が教鞭をとっているにも関わらず、グアテマラ政府は必要なインフラ整備を行っていない。

プリマベラ・デル・イシュカン調整委員会(CCPI)のメンバーが、ロサリナ・トゥユク氏にプリマベラ共同体の要望をまとめた要望書を提出する。写真のとおり、 非常に目を引く要望書だ。同書で共同体は、前述の学校建設とCARITASに対する負債帳消し、UNDPプロジェクトの再開に加え、診療所及び隣接区画の買い取りを提案している。 この区画の買い取りが実現すれば、共同体が拡大するにつれ必要が増す居住地の問題が解決を見ることとなる。 プリマベラ・デル・イシュカンに住む約275の家族は、内戦による個々の経済的損失への補償ではなく、 共同体の連帯と平等という価値観からそれることなく、集団補償を選択した。

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【出典】
1.プリマベラ・デル・イシュカン共同体 第28回通常総会(2007年1月31日)における政治宣言
2.同上
3.歴史究明委員会(CEH)付属文書Ⅰ:事例第2巻98ページ
4.同上99-100ページ
5.同上109ページ
6.同上110ページ
7.包括的和平協定・協定Ⅳ:難民・国内避難民再定住協定。1994年6月17日オスロ。38ページ
8.同上42ページ

2007年4月11日水曜日

プリマベラの人々

グアテマラ キチェ県 ラ・プリマベラ・デル・イシュカン共同体
2007年1月30日-2月2日




共同体の住民がミルク・ライスの支度をしている。午前中に出される伝統的な軽食で、年に1度の会合に参加する住民に振舞われる。

若い女性が食事の支度を手伝う。

共同体の食堂で会った子供たち

マヤ系先住民イシルの家族

1960年代後半に策定されたイシュカン地域への入植計画に伴い、イシュカン・グランデに新しい共同体が生まれた。それら共同体の住民の多くは、近隣のウェウェテナンゴ県出身のマヤ系先住民マムやカンホバル族の人々である。しかし今日、イシュカン地域にある共同体は、グアテマラで最も多様性に富んだ居住地の1つと考えてよいだろう。マムやカンホバル族以外にもイシル、キチェ、カクチケル、チュフ、アチなど、様々なマヤ系民族出身の家族がこの地域に住み、さらにはラディノ(先住民とヨーロッパ系の混血)系の人々もまた、社会的ネットワークの中で絡み合って存在している。興味深いケースとしてこの写真の例を挙げよう。写真左はメキシコ・チアパス州に見られる先住民グループ・マヤ系ツェルタル族の女性であり、彼女はイシル族の男性と結婚した。1つの共同体の中でもこれだけ民族的に多様であることから、必然的にスペイン語が住民の共通言語となる。

2人の女性(写真左がマヤ系キチェ、右がマヤ系イシルの女性)がマリンバのリズムに合わせて踊る。

ラ・レシステンシア(「抵抗」の意)生活協同組合が運営する店舗の前で、少女たちがカメラに向かってポーズする。

天辺にある100ケツァル(約13アメリカドル)を手に入れようと、油を塗ったポールを上る人々。レジスタンス・フェアの伝統的イベントだ。

100ケツァル獲得を目指す少年たちの協力の様子。

チャフル地域に住むイシル族の女性が、ウイピルと呼ばれるブラウスを着て誇らしげにカメラの前に立つ。ジャングルに身を隠し過ごした日々の間も、軍隊による攻撃の間も、彼女が大切に守り抜いたブラウスだ。

堅信礼に向かう行進を待つ若い女性

マヤ系イシル族に属する敬虔なカトリック教徒

堅信の儀式を新しい教会の入り口で待つ少女たち

チャフル出身のマヤ系イシル族のカップルが結婚式を迎えた。

新しいカトリック教会で初めて執り行われたミサの様子

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