グアテマラ グアテマラ・シティ2007年12月21日
1984年2月23日、ボランティア消防士として働いていたオスカル=ダビド=エルナンデス=キロアが姿を消した。グアテマラ軍部による強制失踪の犠牲となったのだ。(1) それから24年が経ち、グアテマラ・シティにあるボランティア消防団中央本部が、オスカルを偲ぶ会を開催した。
オスカルの母、ブランカ=ローサ=キロア=デ=エルナンデスは、息子が姿を消した1984年のその日の午後から、一時も休むことなく息子の亡骸を捜し続けてきた。オスカルの最後の場所を探し求める母・キロア婦人の決意はやがて、相互支援グループ(GAM)及びグアテマラ逮捕者・行方不明者の家族会(FAMDEGUA)の設立へとつながった。両会ともグアテマラ社会にしっかりと根付き、重要な歴史を持つ組織となっている。
2005年、キロア婦人は行方不明の息子に宛てた人々の心に深く訴えかける手紙を記した。のちにこの手紙は 『The Truth under the Soil: Guatemala, the Silenced Genocide (地中に眠る真実―グアテマラ 封じられた大量虐殺【未邦訳/訳者訳】)』として出版された。キロア婦人はオスカルを偲ぶ会でこの手紙を読み上げた。
「オスカル、あなたが姿を消してから20年、その間に本当にたくさんのことが起こりました。あなたに話したいことが山のようにあるわ。1984年2月23日のあの日にあなたが誘拐されて以来ずっと、私の心には大きな穴があいてしまいました。あなたも知ってのとおり、あなたは私にとって息子であり弟であり、そして仲間でもありました。私の全てだったオスカル。あの日私は誓ったのです、あなたを探す闘いを決してあきらめないことを。
あれから20年以上が経ち、残念ながら私はまだこのゴールに達していません。この家のこの壁が言葉を持つならば、あなたと私が話した全てのことを思い起こし、語ってくれることでしょう。寝る間も惜しんで共に働いた夜が幾度あったことでしょう!覚えていますか?闘いのための計画を立てながら一緒に吸った煙草、何杯も飲んだコーヒー。あなたが受けて立つと決めた闘いのための仕事、そしていつしか私も関わるようになっていたあの仕事。それでもなお、私は何一つ後悔はしていません。1980年代に戻れたとしても、ああ今はもう2005年なのですね、そう、もしあの頃に戻ることができたとしても、私は同じ選択をするでしょう。それがあなたを再び失うことを意味したとしても。私たち2人が払った努力の全てに意味があることを私はちゃんと分かっているからです。あなたが闘いの前進を見ることができなかったのが残念でなりません。あなたに嘘はつきません。私たちが目指した変革のほとんどは未だ実現していないのです。しかし進むべき路は切り開かれ、私には仲間もできました。何千という人々が、あなたの声となって動いてくれているのです。
あなたはどこにいるのでしょう。渓谷に突き落とされたのか、それともどこかに埋められたのか。野良犬があなたの体を貪ったかもしれない。でも私にとって、あなたはは今も生きているのです。あなたは私に生きる理由を与えてくれる。あなたのために私はこの闘いを受けて立っているのであり、あなたはきっとそのことを誇りに思ってくれているでしょう。私の労働の成果は汗と勤勉の結晶。誰かを犠牲にしたり、自分を犠牲にしたり、ましてやあなたの失踪によって恩恵を受けたりなどしていないのです。
大きくなったあなたの姪や甥たちの姿をあなたに見せることができるなら、私は何だってするでしょう!みんなが沢山の愛を持ってあなたを想っています。これはあなたの人間性の賜物であり、今は離れ離れではあるけれど、成長したあなたの現在の姿があるからなのです。あなたを思い出すこと、それは私たち家族全員にとって本当に大事なこと、そしてあなたはいつまでも私たちと一緒なのです。あなたを探す闘いに挑んできた私は、他の子供たちを育てるというもう1つの『闘い』も経験しました。ドナルド、テレ、パティ、マルタ、そして「ぽっちゃり」コカ、この子たち全員よ!失踪の犠牲をなったあなたたち全員が強いられた計り知れないほど大きな犠牲や苦しみ、それらを私たちもこの20年間で身を持って感じてきたのです。
あなたの息子は今やもう立派な大人に成長しました。彼は22歳、そしてもうすぐ父親になるのです。生まれてくるあなたの孫にあなたを会わせることができたらどんなに素晴らしいでしょう。そんな時を家族と分かち合うことができたなら!そして小さいながらも私たちがこれまで成し遂げたこと、見えてきた変化をあなたと共有することができたらどれだけ幸せなことか。どんなに小さくとも、私たちにとってそういった達成や変化は本当に大きなもので、それを思うとき、私たちは満足感でいっぱいになるのです!
あなたがチュポル*の町に足を踏み入れ、3ヶ月の時をそこで過ごしたことを今でもはっきりと覚えています。あなたは恐怖を露にし、そこに住む人々を囲む環境がどれだけ酷いものかを話してくれましたね。今の私にはその苦しみが分かります。私は彼らのために闘っているのです。彼らの家族の亡骸が集団墓地から掘り起こされるのを目にし、軍の支配の下恐怖に慄きながら暮らした日々の証言に耳を傾けながら、私は心の痛みを彼らと分かち合っているのです。こんな話をあなたとは何度もしましたね。集団誘拐事件を耳にするたび、当事者となった人々の気持ちになって考えてみたものですね。ああ、なんて辛いことでしょう!そんなことが私自身に起こったら、私は耐えられず死んでしまうだろう―私は何度もあなたにそう言いました。そしてあなたがいなくなった。あの日から、私の途方もない苦しみは今も続いています。
*キチェ県にあるパン・アメリカンハイウェイ沿いの町。マヤ系先住民キチェの人々が暮らす。軍部の弾圧による深刻な被害を受けた。
20年に及ぶ辛く苦しい日々を乗り越え、私は強くなりました。本当よ。あなたがいなくなった後の1年、もしかしたら2年は、ただただ泣き暮れていた・・・ でももう涙は枯れてしまったようです。私の心は固くなりました。でも誰かに危害を加えようなんてことは思いません。その代わり、あなたと共に引き受けた闘いを続けることにしたのです。あなたと再会できるならば、私は何を手放してもいいと思っています。たとえそれが穴から掘り起こされたあなたの遺骨との再会となったとしても、あなたがそばにいてくれるならば、神のお迎えが来る日、私は安らかな気持ちでこの世を去ることができるでしょう!
死後の生が存在するというのが本当なら、私はそこであなたを探すでしょう。そしてこの20年間に私がしてきたことの全て、その一つひとつをあなたに話して聞かせたい。多くを成し遂げたとは言えませんが、それでもあなたとの約束だけは守ってきました。覚えていますか?『何があろうとも、私はこの闘いに背をそむけたりしない』と言ったことを。
あなたも私も、家族の幸せをないがしろにしたり、あなたの子供がまだほんの赤ん坊だという事実を無視してしまったような時もありましたね。でも私は全ての行いに意味があり、あなたが払った犠牲も決して無駄ではなかったと信じています。実を言うと、私はあなたという息子の存在を忘れ、私にはオスカルという名前の何百、何千という子供がいるのだと思う瞬間があるのです。彼らは皆あなたと同じように恐ろしい経験をする。そんなときです、これまでの苦悩にも関わらず、いくつかのゴールに辿り着くことができたことに対し、私は満足感を得ることができるのです。
あなたのお父さんのことも伝えておかなくてはなりませんね。お父さんは少しずつではありますが、色々なことを理解してくれるようになってきました。あなたの死について私を責める代わりに、今はあなたと私が共にしてきたことに意味を見出してくれています。2人とも随分と歳をとりました。まあこんなことは言わなくともあなたはよくわかっているでしょうね。そんなあなた自身も最近43歳になりました。もう若いなんて言える年齢ではなくなってしまいましたね。年寄ったあなた。きっと頭も白髪だらけなのではないかしら。想像してご覧なさい。あなたの年でおじいさんになっていることを。私たちみんな、とても幸せでしょうね。あなたもそう思うでしょう?
あなたの息子は結婚式にあなたの誕生日を選びました。彼を育て上げるのは簡単ではなかった。これまでもあなたに話してきたけれど、私の育て方が悪かった部分もあるのです。大人である彼を今更正そうなど、難しいことですね。でも彼は大丈夫、彼という人間は失われてなどいないのだから。彼は善良な大人になったと思っています。一生懸命働いてくれる。ただ時々、自分の殻に閉じこもってしまうことがあるのです。彼があなたようの広い心を持った、責任感の強い人間になったらどんなに喜ばしいことでしょう。そのためなら何だってするわ。でも子供はそれぞれ違うもの。彼なりにあなたの闘いをちゃんと理解している。あなたが姿を消したことで彼はなかなか成功できずにいるけれど、父親像というものを持たずに育ったのだから、当然といえば当然かもしれません。これは彼が一生背負っていかなくてはならないことなのです。
彼は父親であるあなたに会う機会は得られなかったけれど、私の言葉を通してあなたのことを知るようになったし、あなたに対したくさんの愛情を感じています。彼があなたを忘れることは決してないし、あなたの不在を責めることもありません。彼はあなたを誇りに思っている。私たち家族全員が、時には涙することもあるけれど、彼と同じ気持ちでいます。あなたの息子にとってあなたは英雄なのです。あなたはオスカルという人間、私の「色黒ちゃん」、そして「生真面目な奴」。でもそれだけではなく、行方不明となった人々全員を象徴するヒーローなのです。あなたの人間性、行い、あなたの存在が意味するもの、それら全てがあなたへの尊敬の念を私たちの心の中に刻み、私たちはあなたを想いつづけるのです。
私たちが遠いどこかで再び巡り逢うとき、私たちは一生分の時間をかけて、未完成のパズルを組み立てることでしょう。あなたが今どこにいようとも、私のことを忘れずにいてほしい。時には忘れてしまうこともあるでしょう?そんなとき私は置いてけぼりになってしまうのです。「もうタオルを投げて降参するわ。これ以上続けるなんで無理。それにはもう歳を取りすぎたのだから」―こんな風に言いたくなるときだってあります。でもあなたにこの手紙が届き、私の声が聞こえたら、忘れずに私の背中を押してちょうだい。そしてこう声をかけてね。「母さん、諦めちゃいけない!」と。
安らかに眠ることもできず、ここで家族と一緒にいることもできないあなた。家族の元に帰るためならあなたは何だってするでしょう。私にはそれがわかるのです。こんなことを言うのは辛いことだけれど、あなたがいないという現実がある。このような生活を送るつもりなど決してなかったのだけれど。私たちは犯した間違いの大きな対価を支払ったのです。でも過去に戻ることなどできないのだから、私は希望を持つことにします。あなたと再会し、抱き合い、もう決して離れることはない、そんな日を夢見て。私の「色黒ちゃん」、愛を込めて私はあなたをそう呼んだものね。愛しい私の息子よ、さようなら。いつか再会が叶う日まで。―母より
(記念碑の文)「米州人権委員会に申し立てられた事件P-1194-06番に関し合意された有効解決案に基づき、グアテマラ政府は1984年2月23日に起きたオスカル=ダビド=エルナンデス=キロアの強制失踪に関する責任を認めている」
「時は過ぎ去るもの。でも私たちの記憶の中で、あなたは永遠の命を授かった。愛は忘却を超える」
エルナンデス=キロア一家
歴史究明委員会(CEH)の報告によると、オスカルは内戦下でグアテマラ治安部隊によって行われた約4万5千人にものぼる強制失踪の犠牲者の1人である。(2)
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1. グアテマラ大司教人権事務所編 『グアテマラ虐殺の記憶:真実と和解を求めて/歴史的記憶の回復プロジェクト』 第5巻 『内戦犠牲者』 1998年 361頁
2. Dewever-Plana, Miquel 著 『La verdad bajo la tierra: Guatemala, el genocidio silenciado』2006年 6頁