2008年4月30日水曜日

ヘラルド司教―悲劇から10年

グアテマラ グアテマラ・シティ
2008年4月26日


「1998年4月26日、(グアテマラ教区副司教であった)フアン・ホセ・ヘラルディ・コノデラ司教が惨殺された。サン・セバスチャン協会の教区宿舎のガレージでのことだった。暗殺の2日前、ヘラルディ司教は、歴史的記憶回復プロジェクト(REMHI)編纂の報告書『グアテマラ 二度と再び』の公表を行った。人々の証言やその他証拠資料をまとめた同報告書は、20万人以上の犠牲者を出した36年にわたる内戦下で、主に貧しい先住民を対象に行われた残虐行為を物語っている」(1)


「真実が明らかにされることに耐えられなかった者たちが、1人の人間の命を奪った。その暗殺によって、ヘラルディ司教は正真正銘の目撃者となったのだ。自らの血を以て、報告書が真実であることに『署名』をしたのだから」(2)

































「新しいグアテマラを作り上げるための貢献がしたいのです。そのために、私たちは人々の記憶を回復するための取り組みを行ってきました。この道のりはこれまでも危険に満ちたものであったし、それはこの先も変わることはないでしょう。しかし、神の王国を築くには様々な危険が伴うのです。それに立ち向かい強さを持った人のみが、この建設に携わることができるでしょう」(3)

For English, click here.

Versión en español aquí.

1. ゴンザレス・マリアノ 『Las muertes de Monseñor Juan Gerardi: Ensayo sobre la batalla en torno a la memoria del Obispo』 グアテマラ 2008年4月29日
(
http://www.albedrio.org/htm/articulos/m/mgonzalez-005.htm)
2. サラビア・バルデス・ラケル 『Monseñor Juan Gerardi』  グアテマラ 2008年4月29日
(
http://www.albedrio.org/htm/noticias/adital290408.htm)
3. REMHI報告書公表にあたりヘラルド司教が行ったスピーチより抜粋 1998年4月26日

2008年4月29日火曜日

農民たちの大行進―CUC発足から30年を経て

ソロラ県ロス・エンクエントロスからグアテマラ・シティへ
2008年4月12-4月15日

2008年4月12日

9:15 ソロラ県ロス・エンクエントロス

「人民の主権と母なる大地を守るための先住民と農民による行進」(正式には「母なる大地を求める叫び」として知られる)が、4月12日、パン・アメリカン・ハイウェイを行く全行程80マイル(=127km)の行進を開始した。ソロラ県ロス・エンクエントロスを早朝に出発し、3日後にグアテマラ・シティ到着を目指す。グアテマラ農民統一委員会(CUC)がその発足30周年を記念し組織した行進である。

10:45 ソロラ県 チマルテナンゴ県との県境付近

行進は約1,000人の参加者と共に出発した。「先住民の領土における土地及び自然の恵みを利用する権利を略奪しようと目論む政策に抗議し、母なる自然、生命、正義を求めること」を目的に集まった人々だ。(1)

10:55 ソロラ県 チマルテナンゴ県との県境付近

マヤ先住民カクチケルの女性たちが、行進の参加者たちが自分たちの共同体を通過する様子を見守る。

11:02 ソロラ県 キロメーター116

チマルテナンゴ県との県境まであと数メートルという地点で、行進の参加者が一旦その歩みを止める。国家治安部隊によって殺害されたテオドロ=サロフ=パンホフを追悼するためである。テオドロは、グアテマラ農民組織連合(CNOC)が組織した2000年10月10日の集会中にその命を奪われた。「我々の友テオドロは、農村地域の発展に自らの命を捧げたのです」(2)

14:50 チマルテナンゴ県サクレウ付近

「CUCが発足して30年になりますが、発足の原点であった状況には未だ変化が見られません。そのことを声を大にして伝えたいのです。その原点とは、土地を巡る闘い、プランテーションにおける公正な賃金と労働条件を求める闘い、軍事化の動きや先住民に対する様々な差別に終止符を打とうという、グアテマラ国中で繰り広げられている闘いを指します。進展がないだけではありません。私たちは、領土を守るという新しい闘いを強いられてさえいるのです。今日の私たちは、グアテマラの天然資源を奪おうとする国際企業、そして自分たちの領土を守ろうという地元住民の狭間に存在する厳しい闘いを余儀なくされているのです」(3)

17:42 チマルテナンゴ県アグア・エスコンディーダ付近

チマルテナンゴ市まであと数キロというところで、突然の夕立に見舞われる。このような嵐への準備をしてきた者はほとんどいない。

19:26 チマルテナンゴ県テクパン

温かい歓迎と宿泊場所を提供してくれたテクパン市に対し、CUC代表ダニエル=パスカルが感謝の意を述べる。「権力の座にありさらに富を求める人々と、そういった動きに抵抗し生きる権利を求め闘う人々は、日々悪化する深刻な対立関係にあります。母なる大地を略奪しようという行為を支持する政府に目を向ければ、このような状況が生まれるのは当然でしょう。政府は石油や鉱山資源の採掘権を付与し、遺伝子組み替え作物を導入しているのです。河川の流れを変え住民から水資源を奪った上に水源を汚染し、大型ダムやその他巨大プロジェクト建設を推し進めているのです」(4)

20:02 チマルテナンゴ県テクパン

参加者は、テクパン私立体育館を「宿」に、長い1日を終える。行進は約30キロの道のりを進んだ。

20:06 チマルテナンゴ県テクパン

寒い中雨に打たれ、疲れきっているはずの参加者たち。彼らは温暖な気候の南部沿岸地域出身者である。それにも関わらず、彼らは前向きなその心を、眠りに着く前にこんな風に示してくれた。

2008年4月13日

6:57 チマルテナンゴ県テクパン

行進2日目が始まる。

7:15 チマルテナンゴ県テクパン

1470年に築かれたイチムチェは、スペイン人の到着以前、マヤ系先住民カクチケルの人々が住む都市の中心であった。その名前 Iximche は、「トウモロコシの木」(ixim = トウモロコシ、che = 木)を意味する。スペイン人の到着からほどなくしてカクチケルの人々との間に結ばれた同盟関係により、イシムチェから2キロの場所に要塞が築かれた。テクパンと名付けられたこの要塞はその後町となり、グアテマラ最初の首都と考えられている。
2007年3月12日、ジョージ=W=ブッシュ米大統領が、現在は遺跡となり、先住民の儀式を行う神聖な場所であるこの地を訪れた。その訪問の直後、この神聖なる場所をマヤの司祭が「清め」、北アメリカの国家元首によってもたらされた「邪悪な霊」を追い払ったのだった。(5)


7:16 チマルテナンゴ県テクパン

HIJOS (忘却と沈黙に反対し正義と人権を求める子供たち)のメンバーが連帯の精神を示そうと行進に加わり、それ以降の行程のほとんどを他の参加者と共に進んだ。HIJOSの面々に加え、多くの社会組織や国際組織も行進や道中のイベントに参加したり、オブザーバーとして参加者を見守ったりと、様々な形でこの行進に参加した。参加団体の中には、Uk’u’x B’e Mayan Association、CNOC、CCDA、エンクエントロ・カンペシノ、ギジェルモ・トリエジョ・ファウンデーション(FGT)、FLASCO、CONGCOOP、カハ・ルディカ、URNG Youth、RAISネットワーク、グアテマラ人権オンブズマン事務所(PHD)、ピース・ブリゲード・インターナショナル(PBI)、CAIG/ACONGUTE、NISGUAの姿が見られ、さらには、メキシコ、エル・サルバドール、ニカラグア、ホンジュラスからヴィア・カンペシナとCLOCのメンバーが駆けつけた。


7:29 チマルテナンゴ県テクパン
母なる大地は売買の対象なんかじゃない。母なる大地を再び我々の手に!母なる大地を守らねば!
強制排除や抑圧から・・・立ち上がろう!
鉱山活動にNoを・・・命にYesを!闘いを受けて立つ人々こそが、勝利を手にするのだ!



11:05 チマルテナンゴ県サンタ・クルス・バランジャ付近

この季節には珍しいことに、雨模様の天気が行進2日目も続く。雨も2度目となれば、参加者の準備も万全だ。


12:16 チマルテナンゴ県パツィシア付近

「私たちは今、政府による組織的な抑圧の下に暮らし、そういった抑圧は国家警察隊(PNC)、軍部、司法裁判所、地方検事事務所によって具現化されています。小規模農業を営む農民は、その領土や農地を守るために闘い、結果、犯罪者やテロリストというレッテルを貼られています。それだけに留まらず、追跡され虐げられる者さえいるのです。最近サン・フアン・サカテペケスとリビングストンで起こった事件がその例を示しています。同様に、生活必需品や燃料価格の高騰に反対する市民もまた、厄介者扱いを受けています」(6)


15:31 チマルテナンゴ県 『12月29日』共同体

サラゴサ市にある『12月29日』共同体の住民が、行進を歓迎する素晴らしいイベントを準備していた。お昼時に開催されたイベントには、食べ物や音楽や供され、インスピレーションに満ちたスピーチが行われた。


15:36 チマルテナンゴ県 『12月29日』共同体

『12月29日』共同体―これは、36年にわたる内戦に終止符を打った和平協定が締結された歴史的な日にちなんで名付けられた共同体である。その住民のほとんどは、かつてグアテマラ国民革命連合(URNG)の様々なセクトの戦闘員であった人々とその家族である。共同体の中央広場には、革命に命を捧げた全ての戦闘員を称える肖像がそびえ立つ。この特別な日のために、肖像はCUCのハンカチーフと帽子で飾られた。


15:45 チマルテナンゴ県 『12月29日』共同体

地元共同体の子供たちが集まり、行進参加者に向けて歌を歌う。歴史的に重要な意味を持つCUCの歌も披露された。

15:47 チマルテナンゴ 『12月29日』共同体

共同体住民であるソロモン氏が述べる。「農民によるこの闘いへの支持を表明します。この地には私たちが暮らすための慎ましい家はありますが、耕す土地はないのです。そのため、私たちの多くは工場、そして労働搾取が横行することで知られているマキラドーラで働くことを余儀なくされているのです。農民の闘いの原点となった状況と軍事紛争は未だ続いているのです!」

15:54 チマルテナンゴ県 『12月29日』共同体

歴史にその名を刻んだ人物、パブロ=セトが語る。「CUCが究極的に目指すのは、地元に根ざした方法で土地を共同利用することです。CUCは多くの土地を利用する権利を持っており、マヤの祖先の例に習い、それらの土地を耕すことを推進していかなくてはなりません」 セトは1970年代後半にCUCを共同設立した人物だ。しかし、1980年代に組織を離れて武力革命活動に加わり、最終的にはグアテマラ貧民軍の指揮官になった。和平協定締結後、セトはグアテマラ国民革命連合(URNG)党から議員となり、国内調整委員会のメンバーを務めた経験も持つ。

16:32 チマルテナンゴ県サラゴサ付近

参加者がつかの間の「休憩」を取る。

18:01 チマルテナンゴ県チマルテナンゴ

チマルテナンゴ市内に入る行進に目を向ける2人の幼い少年たち。その後ろには綴りが間違いだらけの殴り書きが、グアテマラ社会の現実を静かに「叫んで」いる―『死んだ犬をここに捨てるな』

18:28 チマルテナンゴ県チマルテナンゴ

チマルテナンゴ市の中央広場に到着した農民たちの大行進を、Uk’u’x B’e Mayan Associationのメンバーがマリンバの演奏で迎える。


2008年4月14日

16:27 グアテマラ ミシュコ付近

パン・アメリカン・ハイウェイ沿い、サン・ルーカスとミシュコの間にあるミラドール(展望場所)を通過する。参加者は、3日間で101キロを既に歩いている。遂に最終目的地が見えてくる。首都、グアテマラ・シティだ。

16:40 グアテマラ ミシュコ付近

首都圏に入る前に、行進は小休憩を取る。ソロラから歩いてきた男性が、靴擦れができてしまったため、裸足で最後の道のりを歩きつづけることを決める。

16:44 グアテマラ ミシュコ付近

行進が通過した市町村の全てが、参加者が公共施設を使用することを許可したり、「荒っぽく」はあるが安全な宿泊場所を提供するなど、様々な形で行進に協力した。しかし、この日の宿泊地となる予定であったミシュコまでわずか数キロという地点にたどり着いたところで、地元市長が行進開始前に与えていた許可を全て取り消してしまった。人々の尽力、特にサン・カルロス大学の学生の奮闘により、参加者は予定していた行進ルートを変更し、サン・カルロス大学医学部の敷地内にあるメトロポリタン大学センター(CUM)を宿に、夜を迎えることができたのだった。


2008年4月15日

10:04 グアテマラ・シティ 

CUMにて行進にはその途中で国中から集まった支持者が次々と参加し、抗議行進の最終日の朝には、その数は3,000人近くに上った。

11:51 グアテマラ・シティ 

リベラシオン通り金融地区の中心にあるオベリスクを目指し、約5,000人の抗議者が通りを練り歩く。

12:10 グアテマラ・シティ アヴェニーダ・レフォルマ 

行進参加者がオベリスクを囲み、アヴェニーダ・レフォルマを経由して町の中心部へと向かう。

12:35 グアテマラ・シティ アヴェニーダ・レフォルマ

農民による大行進は米国大使館前で歩みを止め、グアテマラの歴史に多大な影響を与えた同国の政策に抗議の声を上げる。『グアテマラにはSOAの目が光っている』―グラフィティにはそう書かれている。SOAとは、南北アメリカで米国が運営する軍事学校の閉鎖を求める活動を行う組織である。そういった米国の組織において戦略を学び訓練を受けた軍部高官が、過去1世紀にわたりこの大陸を恐怖に陥れた軍事独裁を打ち立てることになったのだ。

13:05 グアテマラ・シティ ゾーン4
徹底した農業改革を・・・農民は30年も闘い続けてきたのだ!
日々の物価高に対抗して・・・団結が私たちの道を切り開く!
団結し闘うのだ!団結した人々が敗れることなど決してないのだから!

13:11 グアテマラ・シティ ゾーン4

『母なる大地を求める叫び』の参加者が、グアテマラ市長のオフィスを通過する。

13:21 グアテマラ・シティ ゾーン1

首都中心部にさしかかった農民たちの大行進は、 国会を目指す。「我々は円卓会談を求めてやってきたのではありません。政府に宣言文を提出するつもりもなければ国会議員と話すつもりもないのです。 ただ彼らが我々の抗議に耳を傾けてくれることを願って歩いてきたのです。 農業・商業・工業・金融連絡会議(CACIF)に何かを嘆願しようとここにやって来たわけでもありません。グアテマラ社会と、先住民と、先住民ではない人々と、主婦の皆さんと、 工場労働者と、全ての労働者と、大衆運動と、土地を持たない人々と、家を持たない人々と、学生組織と、 女性グループと話し合いを持つためにやってきました。 我々の焦点を見直し、考えを新たにし、グアテマラの社会大衆運動を再構築する時がやってきたと確信しています。なせなら、この新自由主義政策はこれからも続いていくのですから」(7)

14:02 グアテマラ・シティ ゾーン1

議会が入る建物へと続く階段に到着した抗議者らは、立法機関の代表者が建物の外へ出て、彼らが読み上げる声明文に耳を傾けるよう求めた。

14:18グアテマラ・シティ ゾーン1

ニネス=モンテネグロを含む国会議員数人が、ダニエル=パスカルの言葉を聞こうと姿を現した。「私たちは、共同体における協議が人々の理知や名誉をかけた約束を行使する場所であり、 また領土の略奪に対する地元住民の拒否を直接に表明する場であると信じています。 そういった協議の拘束力を国が認めない場合、残される唯一の道は広範囲に及ぶ不服従となります。 そしてそういった行為は、さらなる争いや住民蜂起に先立つものでしかなく、平和的手段ではありません。 私たちは警告を促すためにここにきました。 人々は様々な宣言に対しても、そして共同体による協議が無視されることにもうんざりなのです。 機能しない円卓協議も、ハイレベルな委員会ももうたくさんです」

14:34 グアテマラ・シティ ゾーン1

議会メンバーに対する様々な要求事項を読み上げた後、行進は大聖堂前を通り大統領府へと向かう。

14:57 グアテマラ・シティ ゾーン1

大統領府に到着した抗議者は、行政管理部門で働くスタッフとの面会を求めた。 その唯一の目的は、様々な宣言文を読み上げ、 サン・フアン・サカテペケスに住む共同体メンバーが起草した宣言文を正式に手渡すことであった。 同町は、グアテマラ社会で大きな影響力を持つノヴェージャ一家が所有するグアテマラ企業、『セメントス・プログレソ』との対立が原因で、 国家治安部隊による深刻な弾圧を受けたばかりだ。 数分が経過したが、大統領府から出てくる者はおらず、その門は固く閉ざされたままであった。

15:08 グアテマラ・シティ ゾーン1

絶望感が広がり始めたとき、ダニエル=パスカルはフェンスを飛び越え、呼び鈴を鳴らすそうと決意した。

15:09 グアテマラ・シティ ゾーン1

沿岸部コアテペケ出身の女性が声を上げる。 「正義を私たちの手に!コロム大統領は汚職まみれの政治家、殺人者なんだ!企業に身売りしたんだからね! 私たちが育てるトウモロコシは決して安くなんかないのさ! それなのにコロムは私たちに黄色いトウモロコシを車の(バイオ燃料の)ために作れという。 そして農民は遺伝子組み替えで作られたマセカ(トルティージャなどを作るためのミックス)を食べさせられているというのに!」 

15:15 グアテマラ・シティ ゾーン1

「70年代、80年代、そして90年代にこの闘いを受けて立った私たちは、『共産主義者』や『ゲリラ』などと呼ばれました。 そして今日、母なる大地を守ろうとする人々は、『法を犯す者』や『テロリスト』などいったレッテルが貼られています。 これは単なる言葉遊びなどではありません―軍事化を推し進め、社会運動を行う先住民や農民を犯罪者に仕立て上げようという行為に他なりません。 全ては、私たちの領土において、企業が利益を確保できるようにするための行いなのです。 そういった行為があるために、私たちはいつまでたっても『悪者』でしかない―自分たちの資源を守ろうと闘う貧民が、法に追われる立場に置かれているのです。本来ならば、その対象は麻薬の密売人たちではないでしょうか?焦土作戦を実行した軍の暗殺者たちはどうなのでしょう?銀行家のようなホワイト・カラーの犯罪者たちではありませんか?極限の貧しさの中に暮らす人々の手が、決して富みに届かないようにしているのですから。政府関係者は国の財源を湯水のように使い、結果、私たちが住む共同体には、届くはずの公共投資すら届かなくなってしまうのです。そのように腐敗した官僚こそが、法による裁きを受けるべきなのではないのでしょうか?」(8)

15:34  グアテマラ・シティ ゾーン1
サン・フアン・サカテペケス共同体からの参加者が手にしているサインには、こう書かれている。「私たちは市民。法を犯したりなどしない。母なる大地、そして私たちの子孫を守り、協議する権利、情報にアクセスする権利を求める。これまで経験させられた抑圧を糾弾する!地方検事事務所(スペイン語でMPと呼ばれる)の長官の辞任を要求する。企業や有力な一族の意のままである政府など断固認めない。MPとPNCは、(セメント会社である)セメントス・プログレソ社の言いなりだ」

15:41  グアテマラ・シティ ゾーン1

待つこと1時間、群集は遂にしびれを切らし、大統領府の門を力で打ち破ろうとする。彼らのたった1つの願いは、サン・フアン・サカテペケスでの事件を追悼する文書を渡すことであった。

15:45グアテマラ・シティ ゾーン1

到着から1時間15分が経過するが、文書を受け取りに誰かが出てくる気配はない。行進は、ダンボールで作った棺を残し、大統領府を後にする。棺には、マリオ=カールの名が記されている。イサバル県リビングストンの共同体リーダーであったマリオは、国家警察隊のメンバーによって先月殺害された。(マリオ=カールに殺害については、『リオ・ドゥルセを流れる危機―マリオ=カールの死』をご参照ください)

15:45  グアテマラ・シティ ゾーン1

農民による大行進は、グアテマラ・シティの中央広場にて締めくくりを迎えた。中央広場では、フェア・トレード商品の販売を行う店や情報提供を行う様々なブースが出され、コンサートも開催された。

4日間に及ぶ長い行程を終え、ダニエル=パスカルはこう締めくくる。「突き詰めるならば、命そのもの、つまり全人類そして母なる大地の存続が危機に直面しているのです。企業が関心を持つのは、大地の恵みである石油、鉱山、水力発電です。しかしこれらを追求する活動は、先住民や農民の生活に対する配慮が全くなされないまま行われています。農村地域に住む人々が飢え死にしようとも、彼らの生活を支える生物多様性や生態系が破壊されようとも、彼らの食卓を支える種や水が私有化されようとも、利益の追求は続くのです。この事実こそが、私たちが人類の未来そして未来の世代が危険にさらされていることを訴える理由なのです。これはもはやイデオロギーや政治的立場うんぬんという問題ではありません。母なる大自然の存続が危機にさらされているという事実を、私たちは切実に訴えているのです。」



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http://www.cuc.org.gt/

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Versión en español aquí.

1. CUC "¡Grito por la Madre Tierra! " マーチにてCUCメンバーが配布したフライヤーより
2. CUCディレクター・ダニエル=パスカルとのインタビュー 2008年4月15日
3. 同上
4. CUC公式声明 "¡Grito por la Madre Tierra! "より グアテマラ 2008年4月11日
5.
http://en.wikipedia.org/wiki/Iximch%C3%A9 より抜粋
6. CUC公式声明 同上
7. CUCディレクター・ダニエル=パスカルとのインタビュー 2008年4月15日8. 同上 2008年4月12日